旧日本軍百話(本当は凄い)

「東機関」マンハッタン計画を把握していた外務省の諜報機関

1941年12月8日のマレー作戦に続く真珠湾攻撃ののち、アメリカやカナダの日本の在外公館を次々と閉鎖させられたことにより情報収集に著しい支障をきたした日本外務省は、親枢軸的な中立国スペインを拠点にアメリカの情報を収集することを構想しました。

「東機関」中立国を拠点とする諜報機関

戦争を有利に進めるためには、敵国の内情を知る事が重要です。
太平洋戦争前の日本は、アメリカ各地の在外公館を通じて情報がえらました。

しかしながら、開戦によりアメリカ国内の施設は次々と閉鎖されました。
それに伴い情報収集活動は極めて困難となりました。

こうした事態に対処するため、日本の外務省はある抜け道を使いました。
それは、中立国に特別期間を置き、情報収集の拠点にしたのです。

特に右派勢力が牛耳るスペインは中立国の中でも日本とドイツに協力的であり、
外務省は在スペイン公使・須磨弥吉郎(すまやきちろう)へ、この国に諜報機関を設立することを命じました。

こうして1941年12月22日に誕生したのが「東機関(TO機関)」(とうきかん)でした。
須磨が組織設立時に協力を要請したのは、スペイン人のアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコでした。
(若き日のベラスコ)


元々闘牛士でありましたが、28歳のときに右派勢力に反発して逮捕されました。
反逆罪で死刑となるところを、釈放を条件にスペイン政府のスパイとなった人物でした。

ベラスコが情報を提供していたのは、外務省が設置した「東」機関で、TOと読みます。もともと「盗」という名称だったが、具合が悪いというので、「東」になったそうです。

第2次世界大戦開戦直後はイギリスで活動していましたが、評判を聞いた須磨に協力を要請され、組織の設立に関わったのでした。

なお、日本への協力はベラスコの独断で行われたもので、スペイン政府が正式に協力したわけではありません。

東機関のスパイは12人いたとされていますが、正確な数は現在も不明です。

ベラスコが養成したスパイは、アメリカの東海岸に6人西海岸に6人が侵入し、支援員も続々と増員されて情報収集に当たりました。

このうち、ワシントン近辺のスパイはアメリカの目を集中させるための囮でした。
本命は西海岸の大都市でした。

しかし、機密組織である関係上、大規模な辞任派遣はできず、スパイ網が完成したのは開戦半年後の1942年半ば頃でした。

「東機関」マンハッタン計画の情報を入手

日本がベラスコに求めたのは、兵器の開発生産状況の推移国民生活の様子、そして各軍港での艦隊動向の調査でした。

中でも重視されていたのは軍港の監視で、太平洋方面へ出撃する艦隊や輸送船団の情報は、スペイン人スパイにより外務省へ逐一流されていました。

しかし、アメリカ国内から通信を送ると、連合軍に察知される恐れがあるという懸念のため、入手した情報は特異な方法で送られていました。

判明している手段は、まずスパイ自らが中立国のメキシコへ一旦逃れ、大西洋で待機中の工作船へと移り、そこからスペインの本部へ送信するというものです。

一度中立国へ逃れることで、傍受の可能性を低くしようとしたのです。
もちろん、これらの活動資金や装備の調達は日本が負担していました。

資金は当初4000ドルと微々たる額でしたが、最終的には50万ドルにもなりました。
アメリカ国内の協力者などへの謝礼もその中から捻出されていました。

ここで気になるのは、具体的な収集方法についてですが、その方法は極めてシンプルでした。
例を挙げれば、軍港周辺を目視で監視し、軍人と友人となって情報を聞き出しました。

また、目標の向上に工員として忍び込み、さらには神父に変装して協会に来た兵士を利用するスパイもいました。
意外にこれらの手段は効果的で、軍港の様子を常時発信したのみならず、重要作戦の機密すら入手していました。

例えば、ミッドウェー防衛に参加予定の空母が出港したこと、ガダルカナル島へ近日中に大規模攻勢が仕掛けられ、アメリカは不退転の覚悟で臨む事などです。



※ガダルカナル島に放置された日本軍の輸送船と特殊潜航艇。
東機関によってガダルカナルへの大規模攻勢の情報がもたらされていましたが、
情報は有効活用されずに日本は押され、島から撤退しました。

そして最も注目すべきは、マンハッタン計画の詳細すら掴んでいました。

原爆開発を看破したのは青年スパイのロヘリオとレアンドロだと言われています。

ベラスコのスパイ網は想像以上に強固だったと見て取れます。

しかし、ベラスコが尽力したにもかかわらず、当の日本は機関の報告をほとんど無視していました。

ミッドウェーでは空母はいないと思い込んで奇襲を許し、ガダルカナルでは小規模侵攻と決めつけ部隊を小出しにして敗北しました。

原爆開発はさすがに警戒したといわれていますが、軍港における出入港も、目的や航路を分析せず輸送や侵攻を許すことが多かったとされています。

日本軍が東機関を重視しなかったのは、本土やアジア方面の機関を優先したことや、軍内部の情報軽視が大きかったとされていることが原因でした。

そして、組織はアメリカ諜報組織によるスパイ暗殺や拠点襲撃によって、1944年に壊滅する結果となりました。

東機関まとめ

いかがでしたでしょうか?この方は知られざる、モノホンのスパイの話です。
日本のために命がけで暗躍したスパイの話です。

そこには、正史が一顧だにしない、恐るべき真実が語られています。
アルカサール・ベラスコ。一流のスパイでした。21世紀に入ってまもなく、92歳の高齢で逝ってしまいました。

ちなみに、この名が一躍知られるようになったのは、1982年9月20日に放送されたNHK特集でした。
私は日本のスパイだった~秘密諜報員ベラスコ」で衝撃を受け一躍有名になりました。

その内容は、生々しく、情報戦というものの凄まじさを見事に物語ったドキュメンタリーの名作でした。

そして、日本がこのような人物育て上げ情報戦を繰り広げていたことも衝撃でした。

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