旧日本軍百話(本当は凄い)

日本軍はスパイが得意だった?知らざれる組織

FXのブログなのになぜ日本軍のお話?
と突っ込まれそうなので最初に説明しておきます。

初心者の方が、これからFXを始めるにあたり勉強をしていくと思います。
勉強する上で大切なことは良質の情報を集めてそれを実践、検証、改善を繰り返しながら身につけていくと思います。

そのような行程は古今東西どこの組織でも行われています。
特に、戦前、戦時時の日本軍は情報収集能力が高かったと言われています。

実際に自衛隊の戦術でも情報収集と情報分析に重きを置いています。
そうした意味で情報の重要性を扱った事例を紹介出来たらいいなと思います。

ちょうど、僕の趣味で日本軍のエピソードを勉強していた時が少しだけありましたので、
その知識を通じて情報収集の大切さをお伝えできたらと思います。

日本軍スパイ戦!意外と知らない日本軍の諜報能力

意外と知られていませんが、日本軍の諜報能力は決して侮られるようなものではありませんでした。
それどころか、世界有数の実力を誇っていたそうです。

にもかかわらず、なぜか私たちの認識として「劣っていた」という通説がまかり通っています。
それはなぜでしょうか?

その理由として考えられるのは、せっかくの情報を巧く活用できなかった点にあると言えます。

日本軍の諜報部員はかなり優れていたそうです。日本人の性格・気質からみて、一人ひとりの任務遂行能力は高いと思。
僕が自衛官時代もそうでした。
世界の軍隊の中でも自衛官の下士官は素晴らしいと評判でした。

つまり任務遂行能力が高かったのです。大和魂ですよね。

日本軍でもそうでした。下士官の任務遂行能力が高く、上からの無理難題でも、泥水を啜りながらでも任務を遂行したそうです。
しかしながら、どんなに良い情報を提供したとしても、上に立つ軍の作戦将校や組織が重要性に理解を示さず、
作戦遂行に役立てようとしなかったのです。

戦争は何も、艦艇や航空機、戦車などによる物理的な衝突ばかりで成り立っているのではありません。
その舞台裏で繰り広げられる「情報戦」や「人脈」、情報と人脈を駆使して組織を作り上げ、
改革や謀略に取り組んだ人々も、国家の運命を左右する重要な要素なのです。

その点で言えば、米軍は優れていたと言われています。今でもそうですよね。
組織力の大切さと組織力の強さを認識しています。また、情報力の重要性も重視しています。

ビジネスでもそうだと思います。
マーケティングはほぼ情報戦と人脈を駆使しながら、地形や天候などの物理的な要因を加味し、
商品を販売する戦略を立てると思います。

派閥だらけの日本軍

日本人はすぐに派閥を作りたがるんですよね。
最初はプラス方向に進むのですが、すぐに小競り合いとなり、それが組織全体に影響を及ぼす要因へと発展していくパターンが常です。

日本人に関わらず、人が3人寄れば、派閥ができるといわれています。
特に政治の世界において、安定した政権を担うには、派閥による駆け引きがとても重要になってきます。

とはいえ、古今東西、派閥という組織は何も、同じ意見や意思を共有し合うメンバーだけで構成されているわけではありません。
そのつながりは、例えば出身校であったり出身地であったり、もしくは利害関係であったり様々です。

人の集まりは、各自がそれぞれ思惑を持っていることが多いので、平時であればまとまりもあると思いますが、いざ事が起きると意見の食い違いで分裂することも多々あります。

そのような事態に、約70年前まで存在した日本軍も陥っていました。
日本軍部の巨大派閥と言えば、薩摩閥長州閥ですが、

明治維新の立役者であります、薩長両藩の出身者は「海の薩摩、陸の長州」と言われるように、陸軍と海軍で住み訳がなされていました。

しかしながら、幕末の同盟時代とは打って変わって、軍部内での派閥抗争を繰り広げていたことも事実です。

そのために、陸海軍は終戦まで確固とした協力体制を築くことがなく、その体制が敗戦の一因にもなったとも言われています。
せっかくの巨大組織も一点集中できないのであれば力が分散してもったいないですよね?って個人的には思いますが、
様々な派閥抗争の末、一枚岩にできなかったんだろうなと思います。

また、巨大派閥の薩長閥は、出身地で区別されたに過ぎません。
実のところ、薩摩なら薩摩の、長州なら長州のイデオロギーは希薄でした。
そこで、同じ志を抱いた小派閥も誕生したそうです。

日本軍スパイ活動の裏で「負の財産!」派閥抗争が生んだ「少派閥」

派閥抗争が日常化すると、派閥を作ってイデオロギーを伝えることが当たり前のようになって来ます。
その中でも過激な派閥が誕生した事もあります。

例えば「王師会」、「桜会」、「一夕会」と言われる派閥が誕生しました。
これらの中には、派閥抗争に明け暮れる軍上層部に反発し、クーデターまで起こした派閥まであります。

そこまで来ちゃうともう、足の引っ張り合いですよね?他国からしたら、どんどん内乱で国を疲弊しろ!って願いますよね?
当時はアジア各国は植民地化されていたので・・・・

また、陸軍省・海軍省の軍政機関と陸軍参謀本部・海軍軍令部といった軍部との対立もあります。
これは最大限の負の遺産だと思います。

陸軍と海軍が同じ作戦をスムーズに共有できなければ、それはもう組織ではありませんよね。
つまり、日本軍は決して、一枚岩ではなかったというのが見て取れます。
そして、それぞれがそれぞれの考えで戦争を進めていった結果、責任の所在が曖昧となり、終戦が長引いたと言われています。

しかしながら、一方で、前述したとおり、日本軍の下士官は優秀でした。
そんな優秀ぞろいの組織もまた優秀でした。

上層部が派閥争いを繰り広げている中で、愚直に秘密任務を遂行していた
あまり知られていない組織が日本軍には多く存在していました。

これらの組織は情報収集に長けていました。
情報収集は目的や任務達成する上で最重要事項になります。

ビジネスにしろ、FXにしろ情報収集がとても大切になってきます。
本ブログはFXメインで記事を書かせて頂いていますが、僕の趣味も相まって日本軍の情報収集能力についてご紹介し、
今後のFX上達のお役に立てればと思います。

ちなみに、今後の記事内容予定は、
■諜報と謀略で日本を支えた「特務機関」
■機密の任務を負った「731部隊」、「516部隊」
■陸軍を二分した「皇道派」と「統制派」
■海軍の行く末を変えた「艦隊派」と「条約派」
■政治の世界まで巻き込んだ「三国同盟推進派」と「対米協調派」
■満州を牛耳った「関東軍」
■技術開発を担った「登戸研究所」、「科学技術研究所」
■戦時の最高統師機関の「大本営」
■海軍の「海上護衛総隊」
などの記事を綴っていこうかと思います。

また、人物では、永田鉄山、石原莞爾、板垣征四郎、辻正信、米内光政など、極秘作戦に直面した軍人を紹介していこうかと思います。

さらに、日本軍が行った情報作戦についても紹介していきたいと思います。

前述しましたが、一般的には、日本軍の情報戦は苦手だったと分類されています。
情報収集力がアメリカより劣っていたため、ミッドウェー海戦に敗れ、山本五十六司令長官も命を落としたと僕は教えられました。

ですが、それは上層部の責任で、地を這いずり回って良質の情報を入手した下士官に敬意を評するとともに
本記事を閲覧された方が少し違った方向から日本軍を知り、日中戦争や太平洋戦争に関する理解を深めて、
情報収集の大切さを認識できたら、僕としては嬉しい限りです。

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