指揮の要訣!実戦的な訓練のあり方!

富士総合火力演習を目の当たりにすると、実弾射撃の迫力はスゴイものを感じます。
それと同時に、その実弾下における人間なんてミンチのごとく、

弾の破片でやられてしまうのだろうと想像できます。
それが実戦というものなのかと想像できます。

指揮の要訣!訓練において考慮すべき事

訓練においても、その敵地敵弾下の様相を常に考えなければなりません。
なぜなら、敵地敵弾下の様相と平時演習場の様相とには、著しく異なる点があります。

この点に無頓着な訓練を行うと、まさしく畳の上での水泳訓練となってしまいます。

訓練は何といっても実敵をリアルに想定し戦うに優るものはありません。
僕の同期Mは、陣地侵入をした際、必ず、散開動作を部下に強要しかつ、納得がいかなければ何度も訓練をさせた強者がいました。

その際、部下の愚痴や反発を意ともせず、ひたすら訓練を強要した結果、
検閲では一兵たりとも陣地内に敵兵を侵入させず、また、部下は少しも慌てず
敵を駆逐する動作を実行し、それは見事な部隊でした。

僕は、訓練を終わるごとに、その直後必ずAAR(講評)し研究していました。
もちろん、自分の指揮の要訣の実践ぶりも「振り返り反省」していました。

その訓練の講評の行きつくところは、必ず「隊員の基礎動作」、「部隊の基本的行動」等、戦士としての原理原則の部分の徹底でした。

夜間の訓練時は敵の斥侯などに遭遇する事は多々あります。
たとえ、一般人と言えども、一応敵性を持つと考えなければなりません。

つまり、たまに演習場に迷い込む一般人を訓練外の人として見てはいけないという事です。
特にこのことは、若い隊員に教えなければなりません。

若い隊員は理解できないのです。訓練と訓練外を区別してしまうのです。
しかしながら、ひとたび訓練が始まればありとあらゆる状況において、
実戦と捉えなければなりません。

そんな時は、古参隊員をよく教育し、常に状況の人であれと指示しておけば、
おのずと、若い隊員は訓練時だけではなく、常日頃から古参隊員から指導を受けるものなのです。

そして、戦士たる顔つきと考え方と、戦い方、戦場での過ごし方、歩き方など
徐々に戦士に近づいていきます。

指揮の要訣!部隊の訓練練度を図るポイントとは?

訓練時によく見る光景として、他の部隊の訓練練度は警備状況ですぐに把握できます。
対抗部隊の支援として、斥侯役で部隊内に侵入し攪乱、破壊工作等を行いますが、

つまらない部隊は警備等で暇の多い時、多くは無為に警戒を怠ったりしてます。
いざという時、不覚をとるのはこんな部隊なのです。

立派な部隊は、常に警戒を怠らず、新任務が付与される時、又は予想される任務に併せて、
その為の訓練などが、予期する状況下の猛訓練が強行されます。

そんな姿を目の当たりにすると、訓練なくして精鋭も戦勝もないとつくづく感じます。
また、幹部以下の訓練で流す汗のみが、敵弾下の血の犠牲を救うのだと実感します。

僕は訓練後の評価を部隊内で実施し、その問題点の処置対策を常にしていました。
しかしながら、戦場では訓練成果の講評は敵がするという意識を忘れてはいけません。

地形の利用が悪ければ隊員の命はイチコロだし、指揮が下手だと苦戦に陥り、
処置を誤れば勝つべきところも負けてしまいます。

一歩哨の臆病な報告から全連隊の混乱をきたした実例がありますし、
また、豪胆慧敏な斥侯の報告から莫大な戦果を収めた実例もあります。

ただ、そんな実戦に近い訓練はすごく貴重だといいつつも、
戦後70数年余における自衛隊での平時の訓練はどうすれば良いのか?

答えは簡単です。前述しているとおり、極力実戦的に訓練する他ありません。
そのためには、幹部たるもの先ずは過去の戦訓を勉強し、

実戦の本や映像(YouTube等で閲覧できます。)を頭に叩き込み、
実戦者(米軍人など)に話を聞いて戦場の実相を把握しなければならないと考えます。

そして、戦陣の実相を把握したならば、状況の作為・彼我火力の事実・じ後の状況の進め方等を、極力実相に近い形に作為し訓練計画を立案するに限ります。

自衛隊の幹部教育の凄い所は、図上戦術・兵棋演習・現地戦術等において、
リアルな部分まで苦戦と混乱の状況下まで追い込み教育するところが本当に戦士を育てる教育だと実感しました。

戦場心理の中の統御、具体的かつリアルな敵火の状況、科学技術を考慮した武器の様相、
戦場につきものの錯覚等を考えさせられながら、図上訓練、兵棋演習、現地戦術等の訓練は、死ぬほどきつかったです。

そして、そこから、精神の陶治と原則の活用を体得し錬磨を重ねながら戦士へと導いてくれました。

とある訓練時、最終段階で前方の丘を奪取すれば訓練終了のラッパが鳴るという場面の時、
任務遂行するために、最短コースで前方の丘へと進んでいました。

すると途中に、水田が僕たちの行く手を遮り、さらに水が腰まであり、軍装での渡渉は困難を極める場面がありました。
訓練だし、少し待てば他の部隊が前方の丘を奪取し、訓練終了のラッパが鳴って無事、帰宅しようかな?

なんて邪な思いが僕を始め、部下隊員全体にそんな空気が流れていました。
そんな時、中隊長が腰まで、ドブンドブンと浸かりながら水田を進んでいくのです。

こうなったら、後に続けと、皆がヤケクソで水田を散開しながら、グシャグシャ渡りました。
結果、我が部隊が一番に目標である丘を奪取し任務達成とともに、状況終了のラッパがなりました。

この時、僕はこれが実戦的な訓練の一つだと慧眼しました。任務達成の為にはあらゆる困難を克服せよ!
と身に染みて覚えさせられました。

実戦では部隊の前進は敵の実弾が抑え込みますが、訓練では指揮官自身の判断と審判する側の指導で定まります。
その間いろいろ差異が生じます。

例えば実際によく生起する事ですが、演習対抗の遭遇戦の場合、A連隊の前衛部隊は遮二無二邁進して、遭遇戦における決勝点となる地形を早期に奪取し、B連隊の前衛部隊は捜索警戒及び空地の敵火を実戦的に考えた行動を取りながら前進した結果、要点を奪取しそこなったとする場合、B連隊の連隊長は激怒するに違いありません。

それが非現実的な行動を助長する結果となります。

実戦と訓練とに差異があるという事は、どうしても避け得ない事実だと思います。
しかしながら、この差をいかに小さくすることに尽力した訓練計画を立案することが重要だと考えます。

先の例においては、当然の事ながら、B連隊の前衛部隊が考慮した状況も当然のごとく作為しなければなりません。
実戦に近い訓練とはそういう事なのです。

そしてその実践に近い訓練の積み重ねが、血の流れを抑えてくれます。

日本は。太平洋戦争には敗れましたが、戦後70年余における訓練の歴史には貴重なものがあると思います。
僕はそれらは実戦に優る積み上げた歴史だと誇りを持って言えます。